1990年代の頃、私は桃山絵画の特質を独自の空間性と言って逃げていた。その空間性を表現する単語が見つからなかったからである。2000年代に入って「多元的空間」と表記するようになった。その用語が最も適切な選択だったのかどうか疑問だが、説明の端緒としては今も有効な用語だと思っている。

不思議なのは、多元的という単語をどこから思いついたのかである。政治学の「多元的国家論」かウィリアム・ジェイムズの「多元的宇宙」あたりから借りてきたのだろうと自分で思ってきたけれども、昨日、重田良一氏の「日本の絵画・装飾における空間的特質」を読み返して驚いた。

「その上(画面上:中澤注)に展開するかたちは、平面進行故に、一つには多元的空間を含み、同時に多焦点の設定を許す。遠近法的な奥行き方向の秩序をとらないし、しかも三次元的イリュージョンが無視されるところには、それが自動的に生じてくるといってよいだろう。例えば、絵具によって肉付けされる前の白描の画面を見るとそこには視覚的に誘い出す力として空間の多元性が見えてくる。」季刊「日本の美学」12号1988年

日本絵画の空間性について論じた10ページあまりの文章中で、多元が出てくるのは引用文の二ヶ所しかないが、当時この論文を読んでいたく感心した記憶がある。その記憶が伏流水となって、後に私の「多元的空間」になったのは間違いないだろう。

重田良一氏には、これまでの「多元的空間」の無断借用を謝し、併せて御礼を申しあげたい。