永徳の空前絶後の力量をもって可能となった多元的空間は、孫の探幽ですら十全に再現できないものだった。ゆえに探幽は、多元的空間を継承することは断念して、自ら作りだした「曖昧な空間」へと大きく舵を切っていった。曖昧な空間は単一空間と非空間の統一体であり、複数空間の統一体である多元的空間とは観客に与える印象が大きく異る。しかし、敢えて単一空間を目指さないという点では、両者は同じ方向性を持っている。長谷川等伯など桃山期の大家が、基本は多元的空間の作品群に軸足を置きながら、時として曖昧な空間を持つ傑作を描いていたのは、多元的空間も曖昧な空間も共に反単一空間という点では同じ方向性だったからである。