カテゴリー別アーカイブ: 覚書き

多元的空間(4)

 永徳の空前絶後の力量をもって可能となった多元的空間は、孫の探幽ですら十全に再現できないものだった。ゆえに探幽は、多元的空間を継承することは断念して、自ら作りだした「曖昧な空間」へと大きく舵を切っていった。曖昧な空間は単一空間と非空間の統一体であり、複数空間の統一体である多元的空間とは観客に与える印象が大きく異る。しかし、敢えて単一空間を目指さないという点では、両者は同じ方向性を持っている。長谷川等伯など桃山期の大家が、基本は多元的空間の作品群に軸足を置きながら、時として曖昧な空間を持つ傑作を描いていたのは、多元的空間も曖昧な空間も共に反単一空間という点では同じ方向性だったからである。

多元的空間(3)

 宗達が町絵師として仕事を始めた十七世紀初頭の絵画は、永徳によって完成された多元的空間の圧倒的影響下にあった。狩野派はもとより長谷川等伯や海北友松など漢画系の力量ある画家達も、永徳流の多元的空間を受け入れずには御用絵師としての仕事は成立しなかっただろう。京都で絵屋を営んでいた宗達の絵画的基盤は、平安時代以来のやまと絵である。恐らく絵屋としての「俵屋」の主力商品は、やまと絵系の扇や料紙だったのだろう。しかし、当然水墨画や漢画系の屏風絵の需用も多かったはずである。需用のあるものを作るのが生業であるとしても、流行りものを再生産しているだけでは他業者との差別化はできない。他業者との差別化ができなければ、絵屋として存続していくことはできない。そのあらゆる媒体に於ける差別化が、永徳流の多元的空間とは根本的に違う宗達流の多元的空間を生み出す原因の一つになったのである。

多元的空間(2)

 安土桃山時代の絵画には独自の空間性がある。それは、単一空間ではなく、多元的空間である。おそらく、元々やまと絵が持っていた空間性と室町時代以降の漢画の空間性が統合されて行く過程で生み出されたものだろう。その統合の最初の立役者は、狩野派二代目・元信である。始祖の正信が仏画や漢画しか描かなかったのとは違って、元信は土佐派などやまと絵の成果を大胆に取り入れて画期的な作品群を残した。しかし、それまで存在した事がなかった多元的空間という空間性は、まだまだこなれたものにはなっていなかった。この一筋縄では行かない統合を、比類なき力量によって完成してみせたのが狩野永徳である。

多元的空間(1)

 やまと絵はその歴史の中で、絵画上に単一空間を作り出そうという指向を持っていなかったように思われる。それは、単一空間ではなくても色・形・構成などが整合的でありさえすれば、十分絵画として統一的な空間を作り出せることを知っていたからだ。しかし実際には、単一空間ではないが統一空間になっているという優れた作品ができることは稀だったはずである。一方漢画は、単一空間を指向するがゆえに、結果的に統一空間を実現している作品が多かったに違いない。単純に両者を見比べれば、単一空間である漢画の方が見る者により強い印象を与えただろう。これらのことが、室町時代以降の武家中心の社会状況と相まって、漢画の隆盛を生んだと考えられる。